スターそっくりさん消しゴム・その57

今回は、スターそっくりさん消しゴム・その57 菅原文太 赤色です。







トラック野郎・故郷特急便のマドンナ
「ドサ回りの歌手・小野川結花」役を
演じる「石川さゆり」を今回の赤色成
形の桃さんの横にも、置いてみました





































写真 補足

スターそっくりさん消しゴム・その57 菅原文太 赤色

トラック野郎シリーズ

主演 菅原文太・星 桃次郎 桃さん

歴代トラック野郎シリーズ

シリーズ第一作
トラック野郎・御意見無用
1975年8月30日公開

シリーズ第二作
トラック野郎・爆走一番星
1975年12月27日公開

シリーズ第三作
トラック野郎・望郷一番星
1976年8月7日公開

シリーズ第四作
トラック野郎・天下御免
1976年12月25日公開

シリーズ第五作
トラック野郎・度胸一番星
1977年8月6日公開

シリーズ第六作
トラック野郎・男一匹桃次郎
1977年12月24日公開

シリーズ第七作
トラック野郎・突撃一番星
1978年8月12日公開

シリーズ第八作
トラック野郎・一番星北へ帰る
1978年12月23日公開

シリーズ第九作
トラック野郎・熱風5000キロ
1979年8月4日公開

シリーズ第十作
トラック野郎・故郷特急便
1979年12月22日公開

追記

紅白歌合戦オール人気スターグループ
-「スターそっくりさん 消しゴム」-
全20種ラインナップ

山口百恵
桜田淳子
森昌子
郷ひろみ
西城秀樹
野口五郎
沢田研二
ピンクレディー・ミー
ピンクレディー・ケー
岩崎宏美
石野真子
榊原郁恵
大場久美子
石川さゆり
世良公則
原田真二
川崎麻世
萩本欽一
渥美清
菅原文太

追記2

前日の投稿で、この菅原文太の、塩ビ
人形の顔造形は、ディック・ザ・ブル
ーザーの若い頃に、似ている!なんて
書いて、自分で勝手に細工した、コラ
ージュ画像まで、載っけてしまいまし
たが、、、実は、もう一人、似ている
よなぁ、、って思う海外のミュージシ
ャンが居て、クロマグスのハーレー・
フラグナンという人なのですが、これ
また、菅原文太の顔を貼っているだけ
なのに、全然違和感が無い!という。

柔術は、ヘンゾグレイシーの黒帯で、
しかもヘンゾの柔術教室クラスの先生
までやっている、という、まぁスーパ
ーマンですね(歳は僕と同じ1967
年生まれ)

少し前、彼のインスタで、自分にとっ
て衝撃的な事実や、歴史的な出来事?
の記事を見てしまい、これは、凄い!
と自分的に唸ったので、、コラージュ
画像まで、載せたついでに、少しその
事柄について、軽く掻い摘んで、記載
してみます。

Cro-Mags–The Age 
Of Quarrel(1986年)

このアルバムって、クロスオーバーと
呼ばれる音楽作品の中でも、歴史を変
えた?!と言って差し支えない、それ
は、決して大げさではない、大名盤の
レコードなのです。そして最近彼から
語られたのが、

そのレコーディングで使用した、彼の
ベースの話の、えとせとら(なんたら
かんたら〜)

日本のメーカー・イバニーズのベース
・Ibanez Musician 
Bass 1980 MC924DS

を弾き作品を録音したと。このベース
実は、僕が高校一年生で、初めて楽器
を買おうと楽器屋のショーウィンドウ
で、色々眺めて、楽器のカタログを持
ち帰り、眺めながら、欲しいなぁ、買
いたいなぁと、悩んでいた機種です。

当時は有名所だとポリスのスティング
がライブで使用していました。でも、
当時のイバニーズの最高ランクグレー
ド機種だったので、当然14〜15歳
の糞ボンズには、到底手が出せる楽器
ではありませんでした、、、僕は結局

・Ibanez RB924CS
Roadstar II(1983)

という機種を購入しました。まぁ自分
の話は置いておいて、、、

そのハーレーの使用したイバニーズの
ベースは、なんとジャコパストリアス
の物だったというではありませんか!
(ジャコはベースという楽器の神様)

ジャコが、日本でメーカーから譲り受
けた物を、NYでほんのわずかな金額
で、手放してしまい、今度は、その持
ち主から数十ドル(数千円!)で、ハ
ーレーの元に、来たのだそう。

そして、それを使い「エイジオブ・ク
ォーレル」を録音したと!

それって、凄くないですか?1986
年に勝手に、北米NYでリリースされ
ただけ、かと思っていた、クロスオー
バー・ハードコア音楽の作品が、実は
キーポイントの部分で、日本から旅立
った、日本製の楽器が活躍している!
なんて。

ジャコパストリアス在籍時のウェザー
リポートは1981年6月に来日公演
を行っています。その直後、ジャコは
脱退する訳ですが、、、(その後も毎
年一度はジャズフェスティヴァル関連
で、自身のバンドを率いて来日はして
いました)

そのゴタゴタの中、日本で進呈された
ベースは、マンハッタンでごにょごに
ょされたと。

現在のそのベースは、カリフォルニア
にある、パンクロックミュージアム(
博物館)に飾ってあるそうです。

でね、駄目押しで、驚いた投稿がこれ

今から39年前ミスフィッツの「アー
スAD」にドラマーで参加を要望され
ていたのにその話を受け入れなかった

というやつ。これビビりました!ハー
レーってユース時代は、親戚のねぇさ
ん達とスティミュレイターズという、
ニューヨークアンダーグラウンドシー
ン(バンド編成時代のビースティーボ
ーイズや、バッドブレインズ、、、)
にいたバンドのドラマーでしたから。

ハーレーが、あれは、惜しい事だ〜的
なコメントしてて、

でね、そこで、ミスフィッツのグレン
ダンジグと彼との会話も載せていたん
ですが、その時の、グレンの言った、
セリフがまた、泣かせるんです。

あの時ハーレーがミスフィッツに参加
しなかったおかげで、今ミスフィッツ
・クロマグス、この二つのバンドが世
の中に存在してると!

かっこいいこと言いますね。あれれ、
また玩具と関係無い話をグダグダと書
いてしまいました。しつれいしました

追記3

今回で菅原文太(星桃次郎・トラック
野郎)関連の投稿は最後です。なので
少し、その辺りに近い文章も、書いて
おきます。ヤモメのジョナサン号の運
転手、松下金造を演じていた愛川欽也
の地元はうちの近所です。

まぁ、、、それだけなんですが、、、

あと、もう一つ思い出しました。中学
の同級生Nくんは、ダブったりしなが
ら、何個か学校を転々として、最後に
辿りついた高校が、たしか当時出来た
ばかりの、埼玉の飯能市の学校に入っ
たのでした。で、、、たしか、そこに
菅原文太の息子が居るとか聞いた覚え

菅原文太は、その少し後、その学校の
理事とか何か、その辺の役職について
いた記憶。そのNくん、当時8チャン
ネル「夕焼けニャンニャン」スタジオ
観覧してて、で、「勝ち抜き腕相撲」
の勝負後の大暴れの時、どさくさに塗
れてケツ出してた記憶。

話が少し飛び過ぎましたね、、失礼し
ました。