今回は、プロ野球バッチ・その1 日本ハムファイターズ(ファンクラブ会員バッチ)です。
写真 補足
プロ野球バッチ・その1 日本ハムファイターズ(ファンクラブ会員バッチ)
追記
少し前に投稿していた、プロ野球選手
そっくりさん消しゴム一連の流れです
が、、、
その塊と一緒に出てきたのが、これか
ら数十回?!かけて連続投稿して行こ
うかなぁと思っている
「プロ野球バッチ」で、、、、
この「プロ野球バッチ」って基本的に
は、駄菓子屋の、連続当てモノとか、
ガチャガチャくらいかなぁ、、まぁそ
の後玩具メーカー「タケミ」が、プラ
ケースに一個ずつ入れて玩具店で売っ
たくらい?
で、今回の「日本ハムファイターズ」
のバッチはそれらの販売経路とは違い
日本ハムファイターズ・ファンクラブ
入会者に配られた物だと思う、、って
いうか、今回のこのバッチは、自分の
小学校時代に入手した物です。
東映フライヤーズ時代は、まだまだ、
そこまで、プロ野球(しかもパ・リー
グ)には入れ込んでいませんでした。
日拓ホームフライヤーズにしてもしか
りです。1974年に日本ハムファイ
ターズになって、どん底ビリっケツの
二年間を経て、大沢親分こと大沢啓二
(劇団ひとりの嫁の、大沢あかねのお
爺さん)が監督に就任したのです。時
は、1976年(昭和51年)です。
で、その同時期くらいにはもう「日本
ハムファイターズ・ファンクラブ」っ
て、他の12球団中の何処よりも早く
ファンクラブ事業発足していたはず。
読売巨人軍と共に後楽園球場がホーム
だった日本ハムはファンクラブに入会
すると、年間全ての日ハムの後楽園球
場での試合(オープン戦、親善試合、
公式戦)の入場が、フリーパスだった
んです。(入会金は、確か2000〜
3000円)その特典は、野球大好き
小学生達にとっては、とんでもない好
都合。
野球帽と、ユニフォームの上着も付い
てきて、おまけに年間フリーパスとい
う、お得感満載でした。木下大サーカ
スも(1回)見れたかなぁ、、、あと
都市対抗野球戦とかも、見れた記憶。
話をプロ野球バッチに戻すと、、、、
この時代の「プロ野球球団・ロゴマー
クバッチ」の裏のピン部位は、極々普
通の何処の家庭にも有る、安全ピンタ
イプが多いのですがこの日ハムバッチ
の裏のピンは、安全ピンタイプでは無
く、非常に鋭利で、折れ曲り難くて、
自分は、そんな部分が大好きでした。
当時の自分は、コーラの缶250ミリ
を良く飲んでいましたが、缶の上部位
プルトップの軸の小さな丸部位を、日
ハムバッチを野球帽子から外し、この
針先端をプチっと刺し、穴を開け、指
で抑え、フルんです。で、針穴から、
ジェット噴射のごとく、コーラが噴射
されるという、、、変な飲み方。これ
でコーラ戦争とかしてた、、、、まぁ
子供ながらにプロ野球の日本シリーズ
優勝祝賀パーティー再現ごっこ的な物
を考えた、、、ってやつかも。
この遊び、、、今で言うとメントス・
コーラに近いものありますね。
でね、なんか、、野球話の投稿回で、
「東映フライヤーズ」とか普通に書い
ている自分って、そーとーお爺ちゃん
かも、、、って今回、本当に思って、
しまいました。
追記2
昨日の夜からオードリーのオールナイ
トニッポンから〜の電気グルーヴのオ
ールナイトニッポンから〜の笑福亭鶴
光のオールナイトニッポンから〜の、
で、少し寝て、そして伊集院光のオー
ルナイトニッポン、くりぃむしちゅー
のオールナイトニッポン!!という、
なんか、記念事の行事(オールナイト
ニッポン55周年)だけど、この平成
の時代に、凄いことになってます。
追記3
野球バッチエピソードを語っている回