ミル・マスカラス

今回は、ミル・マスカラスです。







ポピースーパープロレスラーシリーズ
という括りで、販売されていた人形。

タイガーマスク2世の敵の、宇宙プロ
レス連盟のレスラー達の人形と、造形
仕様が、ほぼほぼ同じ様に思えます。

ポピースーパープロレスラーシリーズ
の販売時期は、記憶が曖昧になってい
る部分は、ありますが、タイガーマス
ク2世の玩具販売時期と、ほぼほぼ被
っている、と言っても良いでしょう。

ミル・マスカラスは、プロレスのチビ
っ子層への広がりに最も貢献したプロ
レスラーの一人だと断言出来るでしょ
う。

マスカラス以前だと、確実にザ・デス
トロイヤーの存在が、絶大な事は言わ
ずもがな。テレビのバラエティー番組
「金曜10時!うわさのチャンネル」
で和田アキ子、せんだみつおら、芸能
人との絡みは、お茶の間の全ての層に
アピールするものでした。があくまで
対世間として覆面レスラーのアピール
に留まり、プロレス会場に、チビっ子
層を、呼び込むという件には直接響い
ていた、とは言いづらいはず。

プロレス会場に、チビっ子層が確実に
増加している、と実感したのが、全日
本プロレスのミル・マスカラスの来日
時のシリーズでしょう。

マスカラス自体は、日本プロレス時代
から単独で来日していて、それこそ、
二番目の弟レスラーである、エル・シ
コデリコも来日経験があるのですが、
いかんせん、実力に大きな差があった
という事で、この弟の日本でのブレイ
クはありませんでした。

マスカラスのもう一人の弟のドス・カ
ラスと共に来日するようになり、タッ
グチームとして活躍するようになると
会場での人気が爆発したように感じま
す。

初来日1978年夏、田園コロシアム
にて、馬場・鶴田のインタータッグ王
者に挑戦した試合は、自分の中では、
鮮明に覚えている、彼らのベストマッ
チではないでしょうか。

時は、全日本プロレスの最強タッグ決
定戦という年に一度のお祭り興行が、
大変人気のあった頃、いろいろなレス
ラーコンビと、このルチャードル兄弟
の絡みが、新鮮で仕方がありませんで
した。実際にはスーパースターであっ
た、マスカラス兄弟が、シリーズ通し
て参戦する、といったことは1979
年の第2回大会のみでしたが、どの
チームとの絡みも、大変興味深いもの
でした。個人的にも、1977年の、
オープンタッグと、この1979年の
第2回目が、最高の大会だったのでは
と思っています。

ドス・カラスとマスカラスのタッグチ
ーム、コンビネーションプレーは、当
時の、日本のプロレスでは、ルチャリ
ブレを体験出来る非常にレアな空間と
なるのでした。

通常のルチャードルタッグチームは、
個人個人の体が小さく、当時の全日本
プロレスに来日する、北米のレスラー
達と並ぶと、若干見劣りしてしまうも
のでしたが、この兄弟は、完璧にヘビ
ー級のレスラー達との戦いにもアジャ
ストしていました。最も、マスカラス
はヘビー級のカテゴリーでしたし、ド
ス・カラスにしても、ジュニアよりは
若干大きいかなぁ位の体つきでした。

人気に拍車をかけていたのが、入場時
オーバーマスクの観客席への投げ入れ
です。

華やかなスパンコール素材のマントや
メキシコ・アステカ民族衣装に身を包
みテーマソング「スカイ・ハイ」と共
に入場し、試合用マスクの上に被った
後ろがチャック式になったオーバーマ
スクをリングに上がった際、客席に投
げ入れるのです。

そして、そのマスクを、取ろうとする
ガキ供による争奪戦が始まるのですが
毎試合毎試合あんな大事に、もみくち
ゃになる会場模様なんて、マスカラス
以前のプロレス会場では見られないも
のでした。






写真 補足

ミル・マスカラス 「千の顔を持つ男」「仮面貴族」 ポピー製