今回は、スタン・ハンセンです。
自分にとってのスタン・ハンセンとい
うレスラーとは、誰がなんと言おうと
新日本プロレス契約外国人選手として
活躍していた時代です。
この人形の造形も、新日本時代の面影
を凄く感じます。
新日本に登場した当初
ブルーノ・サンマルチノの首をラリア
ットで折ったという逸話が浸透してい
た当時ですが、実際にはボディスラム
を頭から落とした結果だという説が濃
厚だとか。
1982年以降は、全日本プロレスに
戦いの場を移しましたが、戦いの力の
振り切り方が、遠慮しているのがアリ
アリで、全日本での戦いは見ていられ
ませんでした。(特にジャイアント馬
場への攻撃の遠慮具合はひどかったで
す)
新日本時代、ストンピング、エルボー
打ち下ろし、ラリアット、すべてに於
いて力の振り切りが、思い切りがあっ
て、見ていてブルータルさが伝わって
くるレスラーでした。
ハンセンの代名詞、入場してリング上
でロングホーンを作り
「ウィーーーー」
って叫びますよね
自分は、ずっと、ただのウィーーかと
思っていました。
あれ、「ユーーーース」
英語で若者って言ってるらしいですね
写真 補足
スタン・ハンセン「不沈艦」 ポピー製
追記
全日本プロレス、81年世界最強タッ
グ決勝戦、蔵前国技館大会に、当時は
まだ新日本プロレス契約外国人選手だ
ったスタン・ハンセンがブロディ・ス
ヌーカと一緒に私服姿で、登場してき
たのですが場内は大パニックでした。
早速、動画サイトで、当時の映像を、
チェックしましたが、ブロディ・スヌ
ーカ登場シーンで、ハンセンの横に、
中坊時代の自分を見つける事ができま
した。
確か、この日の前日、品川の全日本外
人専用宿舎のホテルに、スタン・ハン
センがいきなり来て、ブロディ・スヌ
ーカ3人で外出して行ったので、凄く
びびった思いがあります。まぁ当時新
日本の外人達は、直ぐ側にある、ステ
ーキハウスリベラに立ち寄る前、極々
たまーに、ここに立ち寄る事はあった
にせよ当時の新日本トップ外国人であ
るハンセンが、ここ品川に来るとは、
さすがにビビりましたよね。
それがあっての、この蔵前国技館です
よ!!この登場シーンは、本当インパ
クトがありました。
追記2
スタン・ハンセン(結果的に)新日本
での最後の試合で、自分の代名詞であ
る、テンガロンハットを、観客席へ投
げたんですけど、自分の友人である池
田くんが、見事にキャッチしたんです
よ。僕も見に行ってたし、横にいた友
人が、見事に掴んで、めちゃめちゃ羨
ましかったです。
ただ、見に行っている時は、ハンセン
最後の新日本の試合だなんて、観客達
は知る由もなく、なぜ今日に限って、
あの自分の大事なコスチュームの一つ
であるテンガロンハットを投げたのか
謎だったんですが、あの全日本の最強
タッグ会場への襲撃で、すべての謎が
解けたのでした。