今回は、ミニミニミニ・仲本工事(黄緑)です。
ザ・ドリフターズの中では、割と目立
たないメンバーなのですが、、、、、
自分の認識では、「体操」くらい?!
かなぁ、、でも
「でぶ」は高木、「めがね」は仲本、
という、5人メンバーの場合のグルー
プ全体像の、バランスを考えると、無
くてはならないパーツなのです。
仲本工事って、いつでもニコニコの様
な気がします。テレビ出演の時は、、
メガネとニコニコ笑顔がトレードマー
クです。
これって、ただの自分の主観なのです
が、いつもニコニコの人って、よーく
見ると、瞳の奥は、なんか笑っていな
い気がします、、、
顔の表情(特に目の周り)の、筋肉の
形状が、「ただただ人より笑顔寄り」
なだけ?!とでも言えばよいのかなぁ
だってね、つるべぇ、とか、ずん、の
イイオとかそんな感じがするでしょ?
あッ!明石家さんま、も、、、
写真 補足
ミニミニミニ・仲本工事(黄緑) 製作会社不明
追記
今回、仲本工事の内容が、ほんの少し
なので、この人形が、売られていたで
あろう時期(1973、4年)までの
ここ日本でのガチャガチャとは?を、
少し書いてみます。
まず、ブリキ製品、セルロイド製品、
よろしく、オキュパイ・ドジャパン(
米国の占領下、である日本製)の製品
として米国製のガチャガチャ機の中身
のチープトイを輸出していました。た
だ、業者は、アメリカでどの様な事に
使われるのか知らなかったそうです。
そして、米国製ガチャガチャ機の中身
は、当時日本製と、香港製のコンビネ
ーションだったそう。
1966年、米国ペニイキング社の、
ガチャガチャの機械をペニイ自動販売
株式会社(ペニイ商会)が並行輸入し
全国的に広めます。1966年1月、
全国誌アサヒグラフにて紹介される)
そして1960年代後半、林商会(関
西の業者)が業界参入
「飛び出す10円玩具」
と、キャッチフレーズをつけて、全国
に売り出しました(10円機、20円
機)国産初号機。
この頃の、中身は、ほぼほぼ、香港製
のチープトイだったらしいです。最初
は10円機でしたが、そして20円機
が登場します。
この頃は、全国のボーリング場の端っ
こなどに良く置かれていたそうです。
ボーリング場というのが時代ですね。
昭和30年代後半から40年代前半は
日本は空前のボーリングブームでした
しばらくすると、東京ビスタ(今野)
から、(国産機第2号)も登場します
1970年代に入るとタカトクからヒ
ーローの形をした大型のガチャガチャ
(2メートル30センチ100円機)
が登場します。当時の定価で30万円
中身は、塩化ビニール製のヒーローキ
ャラクター人形、カタイ素材のヒーロ
ー、怪人、怪獣などが、透明の丸いカ
プセルに入っていました。
ここまでの流れが、第一次オイルショ
ック(1973年末)によって、少し
規模の面(中身の玩具の製造コストの
面)で、玩具業界に影響を与える事に
なります。