アントニオ猪木

今回は、アントニオ猪木・スタンダードサイズです。






自分の、アントニオ猪木に関する思い
(幼少期から多感な中学時代位まで)
を書いていこうと思います。

まぁこの投稿に、この位置に、アント
ニオ猪木が来たのは、もちろん、現在
で言うテレビ朝日系子供向け特撮番組
のアステカイザーにゲスト出演してい
たから、なのですが、

この出演していた1976年という年
は、モハメッドアリ対アントニオ猪木
が行われた年でもあります。が、その
前にも、ウイリエムルスカとも戦って
いましたね。(柔道金メダリスト)

リアルタイムでテレビを見ていたガキ
なりに思った感想は、なんだ?!これ
ですよ。話にならない。つまんないし
時間の無駄だわ、でした。当時9歳で
したから、柵や裏の取り決めルールな
ど全くわかりませんでしたしね。学校
でも話題持ちきりでしたが、何なのア
レ?!って皆んなが皆んな、声を揃え
て言ってましたもん。

でもそれは、ウイリエムルスカ戦も、
もちろん見てた訳で、物凄い期待して
いた訳です。プロレスが最強という事
は、もう自分の周り皆んなが信じてい
た事実でしたし、猪木は、本当に強い
んだと思っていましたから。

大きくなって、ルール(取り決め)を
見聞きして、やっと、あの状況なら、
あの戦い方をするわなぁ。と自分自身
で自決出来ました。

ルーテーズやカールゴッチ(シングル
戦・タッグマッチの絡み含む)と戦っ
ていた功績や、ストロング小林戦は、
素直に凄かった!という感想でした。
ただ、この頃は、いかんせんガキです
から、もう脳味噌から、記憶は抹消さ
れつつあります。ビルロビンソン戦も
もちろん、凄かったですしね。

そうこうしているうちに、1977年
全日本プロレスではオープンタッグト
ーナメントが行われるわけですよ!!
ザ・ファンクス対ブッチャー・シーク
の決勝戦を見てしまったら、全ての、
自分の中のプロレスに対する価値観は
塗り替えられました。(この頃はもう
ビデオデッキが発売されていて秋葉原
の店頭では、このオープンタッグ決勝
戦が、延々リピートされていたんです
が、チャリでアキバに行き、いっつも
道で立って見ていましたが、こんな事
が全日本側の外人好きに、洗脳されて
いく原因の一つになったのかも。家庭
用ビデオデッキは、まだまだ高嶺の花
だったし、店頭でひたすら、ブッチャ
ーとシークがホークでテリーファンク
の腕を切り刻む映像を何度も何度も、
ガン見していましたからね)

全日本プロレスと新日本プロレスのこ
の頃の差、と言えば、(日本レスラー
陣は、少々野暮ったいけれど)華やか
な外国人レスラーを揃えた、全日本と
(皆んな、やたらと、真剣勝負だと、
本当に強いんだろうなぁと思わせる体
を作り上げていた)日本人絡みの、シ
ビアな雰囲気な新日本といった感じで
すか。

全日本、寄りの思考回路の中で、唯一
藤波辰己の凱旋帰国後のジュニアヘビ
ー級という、今まで意識した事が、無
かった戦いのジャンルには、小学校の
高学年になった僕でも、心を持ってい
かれましたよ。この辺の闘いは、まず
スピーディーでしたし、肝心な試合の
終結の仕方が、遺恨無し、ドロドロ次
回に縺れて、とか割と少なくて、完全
決着が多めでしたからね。おまけに、
この頃の藤波辰己の身体つきが、最高
かっこよかったんです!そりゃ、当時
のジョージ高野が、最もかっこいい、
日本人レスラーの身体つきをしてる内
の一人でしたが、いかんせん褐色人種
の混血児と、純日本人を比べたら、ダ
メですもんね。ズールーと戦っていた
頃のヒクソン・グレイシーと、凱旋帰
国直後の藤波辰己を二で割って、現役
バリバリの頃の須藤孝三(ボディビル
ですが)風味をちりばめた、身体にな
る、という無謀なハイブリッドな外見
が、自分の理想の身体でしたね。

まぁそうこうしての、外国人引き抜き
合戦やら佐山サトルのタイガーマスク
になっての凱旋、そして大ブームしか
り、いろいろな出来事が続くのですが

僕の多感な中学生(というか、実際に
グランプリトーナメントが開催される
のは、高校2年生の頃なのですがね)
の心を落胆させる、大きな出来事があ
りました。IWGP構想です。

アントニオ猪木の構想というか実際に
は新間寿氏のやっていた事なのでしょ
うが。あのメンツで、プロレス界の中
での世界の王者を、名乗って良いの?
という、疑問符は、当時の自分には、
相当大きかったんです。普通に従来通
り、MSGシリーズ(マジソン・スク
ェア・ガーデンシリーズ)の質を高め
ていく方が、見栄えが全然良いじゃん
と思っていました。

全米では一番規模の大きい団体である
全日本とべったりのNWAと全く絡め
ないのならば、せめて、やりとりのあ
る、ニューヨーク周辺のWWFと絡ん
で、そこでのステイタスを上げていっ
て欲しかったですよ、、、、と十代の
自分は、はがゆい思いを抱いていまし
た。だって実際にニューヨークで、名
を上げていたレスラーって藤波辰己、
キラーカーン、そしてタイガーマスク
でしたからね。

普通にモハメドアリと戦った男、とし
て、普通に知名度はあったのだから、
一度くらい、本場のマジソン・スクェ
ア・ガーデンで、ビリーグラハムや、
ボブバックランドとタイトルマッチを
して、全米に、レスラーとして、試合
内容で、足跡を残して欲しかったんで
すよ。それから、でも良いじゃないで
すか!IWGP構想なんて。柵も糞も
知らない、十代の自分は、こんな感じ
で思っていましたよ。(もちろん、今
考えたらビリーグラハム、ボブバック
ランドと猪木のシングル戦で実際に、
マジソン・スクェア・ガーデンのメイ
ンイベントで、客が集まるのか?と言
えば、答えはノーですがね)





写真 補足

アントニオ猪木・スタンダードサイズ 飛附屋・ブルマァク製
ブルマァク・ワールド・チャンピオンシリーズ

アントニオ猪木・1943年2月20日〜

追記

東京スポーツ主催、プロレス夢のオー
ルスター戦の、あのブッチャー、シン
を下した後、最後のマイクシーンが、
なんとなく浮かんでくるような、ショ
ットです。


アントニオ猪木のベルトの鷹は右向い
てて(実際は左)ジャイアント馬場の
ベルトの鷹は左向いているんです(実
際は右)いちいち芸が細かすぎるんで
すよ!このシリーズは!!!しかも、
このインターのベルト、金色に緑青吹
いてきて、風格が出まくっていますし
ベルトの皮部分の風格!というか色味
が最高過ぎます。