デンセンマン

今回は、デンセンマン・小サイズです。






















写真 補足

デンセンマン 小さいサイズ ポピー製
デンセンマン 小さいサイズ 袋入り ポピー製
みごろ!たべごろ!笑いごろ! 1976年10月11日ー1978年3月27日 全72回

追記

もうねぇ、稲妻!と来たら電線でしょ、

みごろ!たべごろ!笑いごろ!

を毎週熱心に、見ていた僕にとって、
電線音頭を踊る、このデンセンマンは
最高のテレビキャラクターヒーローだ
なぁと思っていました。

ガキの頃は、このソフビ人形持ってい
ました。この頃、もうソフビ人形類は
あまり買っていなかったと思うのです
が、ギャグ、シャレで買っていたんだ
と思います。

そして、このインターネットの時代、
パソコンを通して、当時は知らなかっ
た凄い事実を後から、色々知る事が出
来ました。パソコンやインターネット
って凄いですね。

番組を見ていた頃は、小学校低学年で
あり、ただブラウン管を通して、番組
のコンテンツを素直に眺めながら、精
々、ソフトビニールの人形を買ったり
冒険王の電線マンの漫画をチェックし
たり。山勝のカードを買いそろえたり
くらいなものでした。

まず、デンセンマンのデザインは石ノ
森章太郎だと言う所、くらいは、なん
かいつの間に、当たり前の、知識とし
てすーっと頭に入っていました。

デンセンマンの中に入っていたスーツ
アクターがあの長髪を後ろで結わいて
ビートたけしの製作した映画関連の時
いつも横に立っていた、オフィス北野
の社長だったなんて、知りませんでし
た。まぁ当時、番組の関係者、渡辺プ
ロの社員だったというそれだけの事な
んですがね。

デンセンマンのマスクは、超神ビュビ
ューンのマスク型を元に作り上げたな
んてことも当然知りませんでした。

このソフトビニール人形のデザイン的
な事で、大変気に入っている部分では
肩、と頭の左右に雀が止まっているん
です。これは電線音頭の歌詞から来て
いると思われるんですが、こうやって
歌の歌詞と造形が連動しているって、
なんて素晴らしいんでしょう!

そして、顔、胸、の稲妻模様です。鉄
人タイガーセブンでも、胸に稲妻が走
っていましたが、こっちは、画数が多
い稲妻です。バッドブレインズのファ
ンとして、こんなに嬉しいデザインは
ありません!そして、ベルトの丸の横
の矢印模様もとってもイカシていると
思うのです。

そして、ふと思った、事なんですが、
ベンジャミン伊東(伊東四朗)のこの
デンセンマンと並べるこ事が出来る、
ソフトビニール人形が、あったらヤバ
いですよね。そして、その次いでに、
同じ、スケール、デフォルメ感覚の、
伊東四朗扮するヤクルトタフマンの人
形もなんか、欲しいかも。

そしたら、電線軍団のザ・ハンダース
のミニ指人形の様な物も必要になって
きます。そして当然しらけ鳥と、小松
政夫のソフトビニール人形も無いとい
けません。あららまた妄想の癖が出て
きてしまいました。失礼しました。

追記2

みごろ!たべごろ!笑いごろ!、以前
関連の事

電線音頭も、最初は桂三枝がレコード
まで出していた、元祖だということも
知りませんでした。

みごろ!たべごろ!笑いごろ!よりも
遡る事、3つ前の番組、
ドカンと一発60分
という番組で桂三枝がやっていたそう
なんです。しっかりと7インチレコー
ドまで出ていますし、歴史って深いで
すよね。ちなみに、ここまで、遡って
しまうと、僕は記憶が曖昧で、番組を
見た事は無いと思われます。

桂三枝なんて、僕からしたら、新婚さ
んいらっしゃい
の司会者というくらい
の認識しかありませんが、関西の人か
らすると、また違った評価なのでしょ
うね。

まぁ、いらっしゃーーいとか誰でも知
っているネタなんで、相当なビッグネ
ームですよね。

僕の小さい頃、ばぁさん達は新婚さん
いらっしゃい
の熱烈な視聴者だったの
で、僕もなんの気無しに、一緒に番組
を見ていました。

小学生達の、性の知識の幅の広げ方っ
て、時代によって、家庭環境によって
人それぞれだと思いますが、僕の場合
小学校低学年では、ばぁさん達の定期
購読していた、女性自身、女性セブン

そして、この新婚さんいらっしゃい
影響がかなりの比重を占めていると思
います。イエスノー枕って、この番組
の象徴の様な物ですよね。普通にただ
の商品の名前だと、思って見ていまし
た。しかし、冷静になって考えてみて
も、家庭円満の為に、女性側の意見を
取り入れた画期的な素晴らしいアイデ
アの商品だと思います!

それが、また小学校の高学年の方にな
ってくると、父親の定期購読している
東京スポーツ、デイリースポーツ、な
どのスポーツ新聞による所が大きくな
ってきます。我家では、デイリースポ
ーツに関しては自宅に配送してもらっ
ていたので、毎朝読むのが日課でした
から。この様なスポーツ新聞のなんの
気なしな、エロ記事、大人用のレジャ
ー記事が、僕の大人になって行く過程
で重要な成分になっていくのでした。